今朝も意外にしっかり冷たい朝でした。
でもこの寒さもそろそろ懐かしい日々になるかと・・しっかり肌身で感じました笑。⬇︎

さて、最近は時間を見つけては歩く事に精を出していますが、2月は結構歩けたかと・・。
3月も意外に歩けているなと・・。
そんな2月某日、舞鶴公園の本当の位置を認識し苦笑、だったらしっかり満喫してみようと本当の舞鶴公園へ・・。⬇︎

ここはあまり通らない場所ですが(以前一度通った事があるような?)、ここがと分かってしまえば気持ちも変わります笑。
そのまま道なりに進んでいると・・何やら石碑が?。⬇︎

大きな岩?とも一瞬思いましたが、やはり石碑でした。
正面を見ると・・何やら刻んであります。⬇︎

・・・。⬇︎

どうやら万葉集の歌のようです(微かに以前読んだような気も・・)。⬇︎

これを詠んだとされる筑紫館が後に鴻臚館と名前を変えたと記されています。
こんな立派な石碑があるなんて・・、まだ何かある?なんて周りを見ていると・・。⬇︎

探せば色々とあるものです・・。⬇︎

さて、・・・どこかに何か刻まれてやいないか・・・お隣の巨石も含めて調査しましたが・・大きな石だけのようでした笑。
そう簡単にはです(すぐに欲しがります笑)、・・と思って振り返ると・・今度は小さな石が?。
今度は本当に石碑?(ほら欲張ります笑)。⬇︎

今度は何やら刻まれているので、間違いなく石碑!(やはり欲張ったもの勝ちです・・勝ち負け?笑)。
ではでは・・。⬇︎

どこに文化財?、もしかして両サイドの樹木?。
よく分からないので廻ってみると・・逆サイドに!。⬇︎

侍屋敷跡でした。
もちろん屋敷らしき跡が伺える建物は残っていませんが、この一角にあったんでしょう。⬇︎

このようなさり気ない案内石(なんと呼べば良いのか苦笑)がまだそこかしこにありそうな気がする舞鶴公園でした笑。
そして辿り着いた舞鶴公園北広場。⬇︎

すると右手に・・またしても石碑?。⬇︎

近づいてみましたが・・これは一体?。⬇︎

福岡聯隊(れんたい)の跡だとか・・。
さすがによく分かりませんので、サイトで調べてみると凄まじく詳細に記載されたサイトを見つけました→戦跡紀行ネット。
そこによると、『かって郷土の人々に福岡聨隊として親しまれた歩兵第二十四聯隊は明治一九年八月十七日 明治天皇から軍旗の親授をうけてこの地福岡城跡に創設された部隊である。』だとか・・やはり石碑でした。
横には関連する師団の名称も刻まれています。⬇︎

上述したサイトによると裏にも⬇︎が刻まれているそうです。⬇︎
『かって郷土の人々に福岡聨隊として親しまれた歩兵第二十四聯隊は明治一九年・・この地福岡城跡に創設された部隊である。・・中南支 マレー ボルネオ ガダルカナル ビルマ 雲南等の各地に転戦敢闘・・硫黄島部隊 沖縄部隊・・名を後世に残して玉砕・・昭和二十年八月十五日終戦・・創設以来六十余年の歴史に終止符がうたれた・・兵営の跡には平和台競技場その他の体育施設があいついで完備し・・兵営の殆ど滅失・・記して大方の厚意に深甚の謝意を表す
昭和三十八年五月三日 福岡聨隊跡記念碑建設会』
さりげなく佇んでいるものです・・。
囲いの中に入るのが憚られたので・・右に左にキョロキョロしていたら・・後方に・・。⬇︎

囲いの向こうの、更に柵の外側に何やらこれまた小さな石碑?。
ズーム機能を活かすと・・。⬇︎

丁度ロープと被っていますが、営門の桃の木だそうです。
この石柱の後ろが桃の木で、以前は設営地に植っていたんでしょう。
こちらの可愛い札がついている木では無いようです笑。⬇︎

ともすれば厳かな雰囲気が漂うこの一角に、一抹のピンク感?なんて、逆にセンスあるなぁとセンスのない僕は思いました笑。
それにしても昨日の奇跡には驚きました?。
しっかりと有言実行とばかりにこちらを頂きながら視聴しました。⬇︎

白キャップをどうしたのかは・・きっと御想像通りで、やはり緑と白は合います笑。
今日もまだあったかな?。
それでは週半ば前の今日もしっかり集中して過ごしたいものです。
またお時間を見つけてそのうちにです。