『空也』さんの最中(もなか)。

 

すっかり秋です。

いつの間にやらやっとこさ、と言う感じですかね

さすがに装いに大きな間違いはしなくてもすみそうです

最近は無性に栗を食べたくなったり、と何故か甘味に異常な執着心を持つようになっています・・。

そんな中、年齢を重ねるといろんな嗜好が変わるのは世の常です・・かね?。

僕個人では、いろんな事が大きく変わりました。

もちろん全く変わらない好きなもの苦手なものもありますが

お菓子感にも大きな変化が・・。

お菓子とはいっても、和菓子、洋菓子、中華菓子、など様々ですが、大体日頃頂くのはこの3つ程度のラインナップかと。

でも、中華菓子なんて大層な事を言っていますが、ここ10年で食べたのはほぼ2種類のみ(月餅と胡麻団子)。

それも月餅もなんでも好きという訳ではなく、ほぼ『中村屋』さんの月餅しか受け付けないという偏屈者

和菓子は苦手なものは無く、なんでも大好きですが、以前までなら全くもって考えられなかった小豆味以外の色とりどりな羊羹が食べられる、いやいや食べたくなっている事が驚きです。

さらには、以前にも数回話題にしている『最中(もなか)』。

以前では苦手な和菓子の最右翼だったのに、今では大好きになっていて、それこそいろんなお店のものを食べています

そんな折、やっと、中々買えない逸品を食べる事が出来ました。

それは今夏の凄まじく暑かった某日・・(そろそろ思い出せそうな涼しい気候になりました)。

信じれない事に・・あまりにもの暑さと、こちらがメインの目的では無かったこともあって(決してついでに程軽んじている訳ではありませんが)、ついつい忘れかかるという冷や汗ものでもありました。

そんな訳でやや慌て気味に向かったのがこちら・・。⬇︎

何気ない通りの一角だけ、人が出入りしているお店が。

何を隠そうこちらは日本一の繁華街『銀座』です。

銀座・最中・予約必須・・。

これでピンと来る方はかなりの仏教通かと。

仏教通?。

そうなんです、こちらはあの空也上人が愛してやまなかった名店『空也』さんです・・。

愛してやまなかったというのは全くの作話ですが(すみません)、もちろん何の関連もなく高僧の名前を屋号につける訳はありません。

創業者が所属していた踊り念仏集団『関東空也衆』に屋号が由来していると言われています(残念ながら、戦災で資料が消失していることから先祖代々受け継がれてきた話しとしての伝記のようです)。

東京へ行く予定が入る度に予約を入れていましたが、お店が空いていない日だったり、予約がいっぱいで丁重にお断りされたり・・。

中々に予約困難なお店です。

しかし、今回は少し予定が早めだった事もあり、意外にすんなり取れていました。⬇︎

続々と予約を取れている方々がこれ見よがしに周囲を見渡しながら入って行かれます・・?。

すみませんこれまた虚言です、そんなこれ見よがしな偉そうに振る舞う方は東京では意外に見かけません(本当に凄い人は大体みなさん謙虚です笑)

もちろん僕も謙虚に入るつもりでしたが、あまりにもの緊張から暖簾の空也の文字に激突しながらの入店でした(暖簾が優しくて良かったです笑)

そして入ってすぐに目に入ったのが、予約で積み上がった最中衆でした。⬇︎

右の大きな包みでおそらくは最中300個以上は包まれています

この規模は芸能関係しか考えられません・・(基本僕の発想は貧相ですのですみません、もしかしたら甘味好きの個人かも・・ないかなそれは笑)

こちらは芸能人の手土産(差し入れ)としても有名です(僕もテレビで存在を知りました笑)

本当にそれらしき大量袋を見れるなんて

そして、空也上人との繋がりの証みたいな何かがないかと、静かに騒がず店内を見ていると・・・。⬇︎

あれ!、ショーケースの片隅にいらっしゃるのは?。⬇︎

『空也上人』でした、静かに手を合わせてお参りしました(あくまでも都会人のふりしてさり気なく)。

あまりあからさまにすると『関東空也衆』の子孫かと勘違いされますので

この時点で胸一杯になりました。

そして、傾かないように揺らさないように、新橋にとっていた宿まで慎重に持って帰りました。⬇︎

賞味期限は意外に余裕がありますし、大事に福岡まで持って帰る予定でしたが・・。

ちょっと箱を見たら止まらなく・・苦笑。⬇︎

ここで止まるつもりでしたが・・。

元々誘惑には最速で負けていた性格です苦笑。⬇︎

何やら説明書のようなものが入っていました。

何々?(今度は好奇心の塊)。

詳しい解説が・・。⬇︎

この解説が全てでしたので全文掲載。⬇︎

明治十七年、上野池之端で開業いたし、お蔭様で創業百四十年を迎えるにいたりました。皆様のご贔屓を厚く御礼申し上げます。

店は戦災のため焼失、昭和二十四年銀座六丁目並木通りに移り、只今、四代目山口元彦にいたっております。

屋号は、たまたま初代が関東空也衆の一人であり、その仲間の援助で最中を主として生菓子を始めましたことから、空也念仏に因んで空也とさせていただきました。

その頃の最中は、今日の様に焦し皮ではなかったそうですが或日初代が友人の九代目団十郎を訪問したときに、火鉢の引出しからありあわせの最中を取出し、一寸焦がしてすすめられたと申します。それが誠に香ばしくて美味しかったので、それにヒントを得て、以後、皮を焦して最中を売り出し皆様の御好評を頂き乍ら今日に至って居ります。

上記からもわかるように、空也上人が空也の最中を食べたことはやはり無かったみたいです

ちなみに夏目漱石が空也のお菓子をよく好んで食べていたこともよく知られていますが、その事もしっかり記されていました。⬇︎

こちらは部分掲載。⬇︎

吾輩は猫であるの一節(夏目漱石先生著)

「えゝ其缼けた所に空也餅がくっ付いて居ましてね」と迷亭は・・・・・・

「あれぎり、まだ塡めない所が妙だ。今だに空也餅引掛所になってるなあ奇観だぜ」

漱石をはじめ林芙美子舟橋聖一先生等、昭和の文豪、梨園の方々にご贔屓いただきました。・・・・

そして最後に・・。

冒頭にて、大変失礼しました事を、この文面上で大いにお詫び致します。

というのもこちらの説明書の裏に、『空也』さんの所在地を分かりやすく地図にしてありました。⬇︎

よーく見ると・・・、何れ劣らぬ日本の、世界の、名店揃いでした。

裏道・横道・なんて申して大変失礼をば致しました。⬇︎

名前が書き込んであるお店は全て名だたる名店揃いです・・・。

ん?『工事中』ってどこのブランドでしたっけ?・・、そんな戯言は置いておいて(すみません)、こちらが箱を開ける寸前。⬇︎

ここまできたらですね、もう見てしまう食べてしまうしかありませんでした。

そしてこちらが本当の最中衆です。⬇︎

こんなに可愛く並んでいるなんて・・。

そして。⬇︎

美味しい!!、間違いなく最中史上最高峰!!。

決して雰囲気に呑まれた訳では無く・・、餡に全くクセの無い絶品でした。

最中のあんこってなんとなくですが、少しクセ(独特の風味?)があるものが多い気がしています。

そのクセも含めて最近では大好きになっていたんですが、こちらはそのクセが全くありませんでした。

一気に3つ・・食べても、まだ食べれそうな勢いでしたが、さすがに自重しました(3つ頂いていて何を今更苦笑)

そしていつも思います、東京の老舗や名店を訪れると・・想像の数倍は価格であったりいろんな面でお得と思う事が多々あるなぁと。

今回もまさしく・・、こちらの最中は一個当たり100円ちょっと・・・(箱代かと思いました笑)。

300円くらいするのか、とも

これはまた機会があれば是非頂きたいものです、そろそろまた東京へも行ってみたい・・。

 

そんな少し肌寒い朝だった週半ばも、しっかりと集中して過ごしたいと思います。

またお時間でもあればその時にですね。

 

 

追記:

そもそも、空也上人とは?。

平安時代中期の僧侶で、諸国を巡り『南無阿弥陀仏』を唱え疫病退散や社会事業を行ったと言われています。

では銀座『空也』さんの名前の由来は?。

それは上述の説明書の通りです。⬆︎

そして何より有名なのが『六波羅蜜寺の空也上人像』ですね。⬇︎

これだけはよく覚えています、口から南無阿弥陀仏像が出てきたなんて話を聞いたら忘れられませんよね。⬇︎

一度実物を見たいと中学生の頃からずっと思っていました・・。

実はそんな思いを馳せる為に(こちらの最中を食す前に)、実は昨年六波羅蜜寺へ行ってきました。⬇︎

憧れの京阪電車に乗って(『くるり』さんの歌詞のように)、地上に上がれば。⬇︎

9分・・六波羅蜜寺。

20分・・清水寺。

共に行けます(今回は六波羅のみでしたが)。

9分なので僕の足なら3分でした・・嘘です

軽く15分はかかったかと(気が散る性格です)。⬇︎

意外に質素な印象で、何となく空也上人らしい気がしました。

拝観料を支払って。⬇︎

こちらでは平清盛像も見る事が出来ます。

そしてこちらが・・・。⬇︎

非常に残念ではございましたが、さすがにそれはそうですね。

なのでしっかりと目の奥に焼き付けてきました。

実物は相当に厳かなものでした。

これを彫った方も相当ですねが、どなたの作品?。

そういえば、誰の作品か分かっているんでしょうか?。

凄いですね、実は判明しています。

空也上人立像の像内の腹部に墨で記された『僧康勝』の文字があったようです。

すなわち仏師『康勝』の作品だそうです。

歴史は掘り下げ始めたり、疑問を持ち始めたら止まるところが分からなくなるので、最後に一つだけ笑。

『康勝』とは:かの運慶さんの4男だそうです。

鎌倉時代の仏師といえば、運慶・快慶慶派が広く知れ渡っていますが、慶派以外の流派はあったのか?あったのならば作品は?・・・疑問が尽きなくなりますし、先ほど一つしか掘り下げないと心に決めたのであとはプライベートでにします

 

2024年11月06日