昨晩から降り始めた雨が今朝も続いていました。⬇︎
何となく久々の雨という気がします。
黄砂も降っていましたし車も心なしか喜んでいた気が笑。
洗車する機会が減っている昨今(苦笑)、恵みの雨ならぬ・・・笑。
さて、先週末に久々に朝倉を訪ねましたが、前回は確か大雨大洪水の後だったと記憶していますので、約4年ぶりでした。
そして今回も雨まではありませんでしたが基本どんよりといった1日でした。
そして朝倉に来る一番の目的はやはりこちら。⬇︎
『三連水車の里 あさくら』さんです。
美味しい地場の野菜や果物や梅干しが美味しいですし、お弁当やお惣菜も沢山、そして何より三連水車もありますしね。
前回は三連水車が洪水の影響で動いていない状況でしたが。
市場の店内から遠目に水車を窺うと(窺わずに見に行きなさいって話ですね 笑)。⬇︎
何となく無事に稼働している感じでしたので見に行きました。
案内看板をじっくりと読み(なんでもゆっくり読みます 笑)。⬇︎
いよいよ復活した姿を。⬇︎
立派ですねー、しっかりと動いていました。
あの時はツタや土砂に絡まれて全く動いていませんでした・・・。
しっかりと復活し、豪快に動く水車にしばらく見惚れました。⬇︎
ずっと見ていることができました・・・日が暮れるまで・・・はないですね笑。
しばし見とれ・・・、ふと少し離れたところに設置されている看板に気づきました。⬇︎
中村哲先生でした。
しかし、何故にこの地に中村先生が?。
この地域の広い農地とアフガンの干ばつに関連してでは?と思った通りでした。
ご存知の方も沢山でしょうが、簡単に・・・(すみません、あえて簡単に 笑)。
アフガニスタンで医療活動を行われ、健康を保つための最低条件は飲料水・食糧不足の解消だとの思いに至った。
そのために井戸を各地に掘った。
しかし、すぐに枯渇。
水を安定して供給するには・・・。
この時に帰国されていた中村先生がこの地:朝倉の『山田堰』を目の当たりにし・・・。
この技術ならアフガニスタンでも十分利用できると考え・・・、現地でこの堰の技術を取り入れ、今の緑の大地へと繋がったようです。⬇︎
到底真似のできない偉業なだけに、あの時の先生のことを伝える報道が・・・いまだに信じられない気持ちです。
山田堰の写真をお借りしました。⬇︎
これは江戸時代に作られたものをコンクリートで補強してあるそうです。
すごい技術ですね。
そして、いまでも中村哲先生の『ペシャワール会』の活動は継続されています。
しみじみと、平和がいかに尊く、人命を故意に奪う事が許されていいはずがないとあらためて考えさせられました・・・。
市場には三連水車の歴史や模型が展示されています。⬇︎
皆さんも訪れた際にはちょっと覗いてみてはいかがですか。⬇︎
前回にも中村先生の、この案内板はあったのかな?。
全く気付きませんでした。
もう一度訪れたくなったのは呼び寄せられたから?。
真相は・・・。
それではまたそのうちにでもですね。
追記:
実は今回読めない漢字があると発覚しました!!。
言い訳ですが・・・以前は読めていたような・・・苦笑。
その漢字とは・・・『堰』。
先程から何度となく記述していますが実は読めていませんでした笑。
正解は『せき』ですね。
意味は『河川の流水を制御するために河川を横断する形で設けられるダム以外の構造物で堤防の機能をもたないもの(wiki参照 笑)』だそうです。
何となくダムのようなものってイメージはありましたが・・・。
今回朝倉を訪れることで、とても勉強にもなりました・・・苦笑。